全国の人事パーソンへのメッセージ
Vol016想い切りトーク
取材日: 2016年7月11日
※会社名・役職等は取材当時の名称を掲載しております。
デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム株式会社(以下DAC)は、1996年にデジタル時代の到来を予測し、博報堂を中心とした広告会社やメディア関連企業などの共同出資により設立、「メディアレップ」としてインターネット広告をいち早く手掛けてきた。現在は、広告枠の仕入・販売を行うだけでなく「アドテク」(アドテクノロジー)を駆使したインターネット広告に関するあらゆるサービスやマーケティングソリューションの提供も行い、成長を続ける。創立から20年、DACの人事の施策や今後の課題を聞いた。
奈良の寺社に深い縁があるという貞岡裕達氏。幼少の頃より身近に仏像や美術に親しみながら育ち、目指した職業は『キュレーター』。大学では芸術学や比較文化学などを学ぶ一方、体育会ラグビー部に所属し、仲間と共に汗を流したラガーマンでもある。
しかし、卒業後は、広告業界に憧れをもちつつも、先輩のアドバイスを聞き大手家電メーカーに就職、新卒で配属されたのは役員秘書。
「総務部の秘書担当では十数年ぶりの男性総合職。聞こえはいいですが、実際は、役員よりも早く出社して、鍵を開け、おしぼりの準備をして…役員の皆さんは朝が早い上に、車通勤なので、始発電車で通勤していました。入社した1999年は、電機メーカーでさえやっとパソコンが1人1台支給され始めた頃で、役員専用のヘルプデスクみたいな役割もしていましたね(笑)」
その後、子会社での合弁会社立ち上げのプロジェクト等への参画を経て、人事部に異動となる。景気は下降気味で、メーカー同士が合弁して生き残りをかけていた時代。貞岡氏は、工場閉鎖を含めた大規模なリストラを担当することになる。
2004年、デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム株式会社へ転職。DACは、“コンソーシアム(共同体)”の名の通り、デジタルの可能性を見据え、1996年に、博報堂を中心に広告会社やメディア関連企業などの共同出資により立ち上げられた。創立20年目を迎えた今も、「メディアレップ」(インターネット広告の一次代理店)としてインターネット広告業界を牽引し続けている。
「先輩に誘われるまで、DACの名前さえ知らなかった。2004年はSNSの先駆けとしてmixiがスタート、Facebookはまだ米国内の学生向けでTwitterもない時代。「メディアレップ」、「アドテク」という言葉を使う人はほんの一握りでした。当社もまだ80人弱の企業規模でしたから、新卒・中途採用、労務から広報・IRまで、経理以外の管理業務全般を担っていましたね。」
業界も企業も急激に成長していく中、そこには圧倒的な人材不足という大きな課題が立ちはだかっていた。
「当時は業界自体の知名度もまだまだ低い状況でしたので、博報堂のグループ会社とはいえ、採用のためのマーケティングやブランディングもない状態からのスタートでした。 そういう状況でしたので、説明会や面接では、会社の説明は2割、あとの8割はインターネット広告業界の可能性について話し、『業界が成長するから会社も成長する、だから自分も成長できる。』と常に伝えていたような気がします。
今でもそう思っていますが、当時はもっと愚直にインターネットの可能性を信じていました。このデジタルの世界なら、大きな敵にだって勝てると。」
最近では、『デジタルを知らないと、今後広告業界で生き抜けない』という認識が学生の中に生まれはじめ、この業界を目指す学生が増えてきた。“広告”や“マーケティング”だけではなく、“膨大なデータ”やそれを“分析・解析する”ことに興味を持ち、物理学や素粒子あるいはDNA等を研究していたなど、これまでとは違うタイプの学生達も集まるようになってきているという。
「この業界の環境に身を置くことで、自然と培われていくスキルやノウハウもあると思います。デジタルの可能性はいまだに拡がり続けていて、とにかく変化が早いです。」
トレンドをつかんでいないと、デジタルのプロとしてお客様と対峙するのはなかなか辛い。好き嫌いは別として、新しいアプリやゲームはひと通り触ってみる。それを楽しめる好奇心を持っているかどうか。
「“ミーハー”である事は、実はとても大切なんです。やりたいことが100%明確な学生よりも、こだわりを持たずにどんどん新しい方向に進める、少し“余白”がある学生の方がDACにはフィットするのかなと思います。」
この業界では、トップほど勉強熱心で腰が低い。大きな変化を経験してきたゆえに、常に危機感を持っている。ある程度枠組みが出来上がってから入ってきた若手社員は、その意識が低い一方で、自分はこれをやりたい、ここまでが自分の役割、といった『セクショナリズム』が強い傾向にある。その原因は『経験格差』だと貞岡氏は考える。
「当社では、「リジョイン制度」といって『一度外に出て、また戻ってきてもいいよ』というメッセージを明確に打ち出しています。転職をして経験を積んで戻ってきてもいいし、転職した先で成功するのもいい。少なくともこの会社の中でしか通用しないような人材にはならないで欲しいですし、そうさせない育成を心がけています。」
DACは国内外に80社近いグループ会社を持ち、今でも増え続けている。比較的小規模の子会社では、若くして経営の経験が積める。そういった機会を出来るだけ多く提供していきたいと貞岡氏は話す。自身も人事・総務を統括する一方で、DACとして最初の100%子会社の設立や中国子会社のオフショアを担当、更には昨年度まで子会社の代表取締役を兼務していた。
もう1つ、業界共通の課題がある。社員の大半が30代以下で、40代の人間が活躍した実績がほぼない未知のゾーン。社員が40代になった時に、いかに活躍してもらうか、その場をどう提供するか。様々な業界とのアライアンス等、社会の仕組みを分かっている40代の登用も欠かせないと貞岡氏。
「自分のことも含めて「40代シルバー問題」と呼んでいますが(笑)、これは“戦略人事”でどうこうという話ではない、心身ともに余裕を持って自然体で取り組まなければならない大きな課題だと思っています。」
「新聞で全面広告を打った、TVでCMを出したと言っても、日本の一部の人しか見ていない。デジタルでキャンペーンを打てば、言語の違いさえあれ、世界同時に見られるわけです。デジタルを扱うことで、視野も世界も確実に拡がっています。
私は、会社は社会の縮図だと思っています。日本だけでなく、世界中の嬉しい事件も悲しい事件も、自分の会社でも起こる可能性があると、常に色々なことを想像したり、妄想したり(笑)しています。専門知識も大切ですが、常に世の中全体に興味を持って、あらゆることを“自分事”として知っておく。会社で“何か”が起きた時にどんと構えて冷静に対処するためには、やはり心にも“余白”が必要です。」
DACでは、創立20周年を機に、Web社内報の公開をはじめた。
「いまさら社内報?と私は少し懐疑的だったんですが、実際にスタートしたら、作るほうも、読むほうも嬉々としていて。新しい場づくりになったのではないかと思います。
20周年を良いきっかけにして、経営陣と若手のコミュニケーションの量も質も高める機会をどんどん提供していきます。これまでの20年の経験の共有や、培ってきた風土や文化の継承も含め、新しいステージに向けて第二のスタートになればいいと思っています。」